大河ドラマ2016「真田丸」の魅力が分かるサイト

真田家記事一覧

真田幸隆

 生没年、永正10(1513)~天正2(1574)。 信濃国の豪族・海野棟綱の孫として生まれたとされる。海野氏が武田信虎、諏訪頼重らの侵攻により滅ぼされると幸隆も信濃を追われる。 幸隆は領土回復を目指すため、甲斐の武田信玄に仕える。天文10(1541)年には、信玄の信濃攻略に幸隆も加わる。 天文20...

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真田信綱

 真田幸隆の長男、真田信繁の伯父。 生没年、天文6(1537)~天正3(1575)。 真田幸隆にいた5人の男子の長男。 幸隆の跡取りとして若い頃から活躍する。1m以上の大刀を振り回し、敵を恐れさせ、武田信玄が生きているうちは、信濃方先方衆の筆頭に挙げられた。 真田家の家督を継いでいたが、長篠・設楽原...

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真田昌輝

 真田幸隆の次男、真田信繁の伯父。 生没年、天文11(1542)~天正3(1575)。 真田幸隆にいた5人の男子の次男。 兄、信綱に負けず劣らずの武勇の持ち主で、ともに武田二十四将に数えられている。 長篠・設楽原の戦いで信綱とともに戦死。33歳。

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真田昌幸

 真田幸隆の三男、真田信繁の父。 生没年、天文16(1547)~慶長16(1611)。 真田幸隆にいた5人の男子の三男。 幼い頃から弟の信尹と同じく武田家に出仕。信玄の小姓として働く。信玄に聡明さを気に入られ、「我が眼」と呼ばれるほど信頼を寄せられる。 父幸隆が病死、そして2人の兄、信綱と昌輝が戦死...

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真田信尹

 真田幸隆の四男、真田信繁の叔父。 生没年、天文16(1547)~寛永9(1632)。 真田幸隆にいた5人の男子の四男。 幼い頃から兄の昌幸(信繁の父)と同じく武田家に出仕。武田滅亡後は、昌幸と離れて、徳川家に仕える。 大坂の陣では、甥の信繁に徳川に寝返るよう持ちかけるが断られる。戦後の首実検で、信...

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真田大助

 真田信繁の長男。 生没年、慶長6(1601)?~慶長20(1615)。 大助は通称。本名は真田幸昌。 信繁が軟禁生活を送っていた九度山で誕生する。 大坂冬の陣では伊木遠雄らと共に戦功を挙げる。この時ケガをしてしまう。 大坂夏の陣で真田隊が総崩れになると、大坂城に引き返す。豊臣秀頼を最後まで守るも、...

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山手殿【薫】

 真田信繁の母。 生没年、?~慶長18(1613)。 別名、寒松院。大河ドラマ「真田丸」では”薫”として登場。 真田昌幸の正室。昌幸との間に長女の村松殿、長男の信幸、次男の信繁をもうける。 出自は諸説あり。京の公家、菊亭晴季の娘とされる説。山手殿が「京之御前」と呼ばれる資料が残っている。豊臣家臣、宇...

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村松殿【まつ】

 真田昌幸、山手殿の長女。真田信幸、信繁の姉。 生没年、永禄8(1565)~寛永7(1630)。 天正10(1582)年ごろ、小山田茂誠に嫁ぐ。この婚姻により、小山田家は昌幸の家臣となり、茂誠は信幸の家老となる。”村松殿”の名前は、このときに昌幸から茂誠に与えられた小県郡村松に由来する。

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小松姫

 本多忠勝の娘。真田信幸の正室。 生没年、天正元(1573)~元和6(1620)。 徳川家康の重臣、本多忠勝の長女(第1子)。14歳のときに家康の養女となり、真田信幸に嫁ぐ。真田と徳川の仲を深めるための婚姻であった。 信幸が不在の時は留守を預かった。関が原の戦いで昌幸、信繁とは敵となる。袂を分かった...

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竹林院

 大谷吉継の娘。真田信繁の正室。 生没年、?~慶安2(1649)?。 石田三成の盟友、大谷吉継の娘。秀吉の天下統一後、大坂城に人質として住んでいた信繁に嫁ぐ。 関ヶ原の戦いでは、信繁とその父昌幸が西軍につく。そのため、昌幸の正室、山手殿とともに父、大谷吉継に保護される。 戦後は信繁とともに九度山に行...

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きり

 高梨内記の娘。真田信繁の側室。 生没年、不明。 名前も不明で、記録には”高梨内記娘”としか残っていない。したがって、”きり”という名は大河ドラマオリジナルといえる。 真田信繁の側室として実在した人物。 正室は竹林院ですが、大河ドラマ「真田丸」では、この”きり”が信繁の生涯のパートナーとしてヒロイン...

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