南条元忠(なんじょうもとただ)
真田信繁の味方。
生没年 天正7(1579)~慶長19(1615)。
鳥取県西部、伯耆(ほうき)の出身。羽衣石城主。
13歳で父が死去、家督を継ぐ。関が原の戦いで破れ、戦後牢人となる。
大坂冬の陣では、信繁とともに大坂城の守備につく。東軍の藤堂高虎からの誘いを受け寝返るも、すぐに見破られ処刑させられた。
別の説では、東軍から内応の手紙を受け取った南条は、これを信繁に見せて対応策を協議したと伝えられている。「内応したと見せかけて敵の油断を誘おう」との信繁の策を実行。安心して城壁に近づいてきた東軍をだまし討ちして、大きな戦功をあげたという。